“たいていの人々は、運命に過度の要求をすることによって、自ら不満の種をつくっている。”
— フンボルト (via darylfranz)

人が幸せでいるために何が必要であるか考えた時、人類学者は自分の子供に家、安定、チャンスなどを与えられることだと挙げています。家や安定、チャンスなどを子供に与えることはそう難しくありません。それらを与えるために必要な労働資源や仕事は全体の資源の1%にも満たないのではないでしょうか?

つまり、「人は周囲の人を支えるために血眼になって働く必要がある」というのは幻想です。これに気が付いていない人が多いということが問題です。仕事がないと幸せを感じられない人が多くいることも社会的な問題だと思います。つまり、人は常に何かをしていたい。必要とされていたい、生産的なことをしていたいというのが人間の性です。こういった人間の性と産業のニーズは必ずしもマッチしません。

“祖父「最近の若者は働きすぎだ。シベリアでの強制労働も8時間までだった。」”
Twitter / ParukJ (via toronei)

(koukai40から)

スヌーピーのある漫画に以下のような言葉があります。

ルーシーという女の子がスヌーピーにたいして以下のような問いをします。

「SOMETIMES I WONDER HOW YOU CAN STAND BEING JUST A DOG..」(時々,あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ…)

それに対してスヌーピーは以下のように考えます。

「YOU PLAY WITH THE CARDS YOU’RE DEALT」 (配られたカードで勝負するっきゃないのさ)
「WHATEVER THAT MEANS」(それがどういう意味であれ)

個人的にこの考え方を座右の銘にして生きています。

あるとき、ブッダは愚かな男から批判を浴びた。

ブッダは黙って耳を傾けていたが、

相手が話し終えると次のように尋ねた。

「人が自分に差し出された贈り物を受け取ろうとしない場合、

その贈り物はだれのものになるのか」

男は答えた。「贈り物を差し出した人のものに」

「そうか」ブッダは言った。

「では、私はあなたの批判を受け取らないことにしよう。

自分のためにとっておきなさい!」

“「神は耐えられないような試練はお与えにならない」というのは事実。わたしの好きな言葉。でも、だからこそ「耐えられないようなものは神の試練ではなく単なる不幸だから、さっさと逃げるべき」です。いじめやDV、そんなものを「神の試練」として耐える必要はないのです。 by 聖書たん”
“お医者さんに「あ〜サブカルこじらせたんですね〜お薬処方しておきます。このお薬辛いかもしれませんがこれが一番良いので」って言われてエグザイルのCD渡される夢見た”
— (via hsgn)

(darylfranzから)

僕らは「自分の親世代からみて平凡でしかなかった生活」を営むために気の狂うような苦行を通り抜けなければ、人並みの生活さえままならない悲痛さを背負っていること…自分も自分の後に続く世代もこんな苦行を強いる社会や企業に常に恐怖と憎悪を抱いている気持ちをちょっとでもわかってほしい。

お手軽にメール一通で人格否定にも等しい仕打ちを受けながら、「はたらけ」と罵られながら働くという当たり前のことに高尚な理由を説明しないといけない。

そして、就職だけでもそれだけ大変なのに「スーツを着てビジネスしてない奴は社会人ではない」ような言い方をされ、「結婚しろ」「子どもを産め」とバブル期のぬるい社会で出た人に言われたりしてる。

挙句の果てには、かつてよりも高いパフォーマンスを求められるアルバイトが集まらないと「日本人は3kをしなくなった」と経営者が若者へ責任転嫁さ…。

何が恐ろしいかというと、データや僕らの環境から見れば無理強いに感じる意見をいう人に悪意はない。悪意どころか、善意のおせっかいだと思っている人までいるほどだ!

“イギリスにはホームレスが少ない。ロンドンを歩いていると分かるが、駅の構内で段ボールを敷いて寝ている人が殆どいない。公園に段ボールハウスの村が出来ているということもない。どうやらロンドン全体で野宿人の数は500人に届かないようだ。イギリス全体でも1000人未満のようで、2万5000人のドイツと比べると圧倒的に少ない。

何故かというと、イギリスにはあちこちにカウンシルフラットと呼ばれる公営住宅があり、イギリス国籍さえあれば、家賃を払えない低所得者は優先的に居住が認められるからだ。このカウンシルフラットがどのくらいあるのかは自分には分からないが、イギリス中そこかしこにあると思ってもらって間違いない。下の地図は今回暴動の起きたHackneyのものだが、住宅の実に5割がカウンシルフラットとなっている。

カウンシルフラットの家賃は圧倒的に低く、ばらつきはあるものの相場の5分の1程度。それすら払えない人には更に住宅手当が下りる。光熱費やTV受信料も実質タダだ。そして、当然家があるだけでは餓死してしまうので、これとは別にpersonal allowanceと呼ばれる生活手当が出る(最近制度改革があったので名前などが若干違うかもしれないが、大枠は同じ)。25歳未満の単身で週に50ポンド。25歳以上なら60ポンド。外食さえしなければ十分食費と携帯代をまかなえる金額だ(円高の今だと8000円弱に相当)。イギリス国民には、食べるに困るレベルでの貧困は(概ね)存在しない。

ただし、これだけ「おいしい」カウンシルフラットは、当然人気も高い。ウェイティングリストの人数は500万人に達しており、それなりに困窮していないとフラットは手に入らない。下の掲示板では親とカウンシルフラットに同居している30歳女性が、一人で住めるカウンシルフラットを探しているのだが、「今現在無宿とかでないと難しい」と返答されている。

ここで、イギリス人なら誰でも知っているトリックがある。子供がいて、しかも親がシングルマザーだと、フラットが優先的に廻ってくるのだ。こうなると、親から独立したい、しかし職がない子供にとって、手っ取り早い手段は妊娠と言うことになる。かくして、イギリスは先進国でも突出して10代の母親が多い国になった。しかも、子供が生まれると一人当たり週に12~20ポンドのChild benefitが支給される。また、シングルマザーだと上の生活手当も週に40ポンド前後は増額される。このため、パートナーがいても敢えて結婚せず、シングルマザーになる母親が多い(当然の結果として、その後別れて本当のシングルマザーになる確率は高まる)。母親ひとりに子供一人で月500ポンド(約7万円)あれば、正直生活には困らない。

とはいえ、貯金は難しい。それに、貯金額が6000ポンドを超えてしまうと支給額が減額されてしまうので、そもそも貯金する理由がないのだが。ちょっと大きなTVを買おうとすれば、夜遊びを楽しみたければ、その分働くしかない。問題なのは子供だ。託児所に預けたいところだが、ロンドンの託児所は1ヶ月フルタイムで1000ポンド。平均所得層ですら厳しいこの金額を彼らが払えるわけはない。その結果、子供は無人の家に置き去りでTVを見るかゲームをするかと言うことになる。言葉を学ぶには最低の環境だ。

その結果起こったのが、子供の識字率の低下。移民だけでなく、ネイティブの識字率が低下している。2007年に政府が行った大規模な調査によると、小学1年生の6分の1が自分の名前やmom, catといった3文字の簡単な単語を書くことが出来ない。当然、こういう子供は小学校のカリキュラムに着いていくことは難しい。その結果、無視できない数の中学生(数字は忘れた)が、「数学の試験問題の英語が理解できない」ために零点をとる、という現象が起きてしまった。こんな状況では学校に行くのは苦痛でしかない。カウンシルフラットの周りでは、昼間から特に何をするでもなくぼーっと座っている子供達をよく見かける。

この様な子供が成人して職に就くのは、非常に難しい。肉体労働系なら大丈夫だろうが、ポーランドからの出稼ぎ労働者の方が高いスキルと低い給料で働いている。それよりも低い賃金では、生活保障の支給額を下回ってしまうので、働く意味がない。こうして、カウンシルフラットで生まれた子供は、またカウンシルフラットで自分の子供を産むことになる。ちなみに、失業手当の受給者数は約150万人。人口が倍の日本では80万人だ(失業率は8%弱)。別制度のincapacity benefit(病気などで働けない人のためのもの)の受給者は250万人(人口の5%弱)を超えている。

結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供が未来に希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。今回暴動でワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きている。”
“女性の貧困だけ独立したように語ってるのがおかしいよな。
元々女性は低所得に抑え込まれていて、所得の高いはずの男性と結婚して扶養されてたから問題にならなかった、男性が低所得になって扶養されなくなったから問題化した、って話なのに。”
Twitter / che_now (via keisuh)

(k32ruから)

――もし株主から「マリオの表情を変えて何パターンもカードを作れば、それぞれに1万円払ってくれることが、いわゆるソーシャルゲームの成功で分かったのに、任天堂はどうして5800円の定額ビジネスにこだわるのか? 何万円も払わせるガチャシステムも導入して、ソーシャルゲーム企業並みに生産性を高くするよう経営者なら努力するべきではないのか?」といわれたら、経営者としてどう答えますか。

 会社を「利益をあげるための装置」としてのみ見るのであれば、利益が効率的にあがる方法をしないのは、経営者として利益追求に真剣ではないという見方もできると思います。

 もし私が来年の任天堂の業績だけに責任をもてばよく、20年後の任天堂なんてどうなってもかまわないと思い、ゲームビジネスの健全性や、作り手と遊び手の満足しあえる関係性に私が興味なければ、全然違う判断もあるのかもしれませんけど。長いレンジの企業価値の維持という私のスタンスとは合いませんね。

“斎藤氏によれば、日本には伝統的にこのヤンキーの心性を好む傾向があり、それを体現する人物は総じて人気がある、として、坂本龍馬や白洲次郎*6の名をあげる。いずれも幅広く日本人に人気がある。立ち振る舞いは粋で、言動はとても格好がいい。『ガチで気合い入ってて、ハンパなく筋が通ってる』。だが、そんな彼らの業績を正味で評価することは意外に難しい。調べれば調べるほど、彼らのイカす言動とは別に中味の部分、すなわり本当のところ何をした人なのか、わからなくなってくるのだ。”