“「○○君、君は僕の娘を、幸せにしてくれなくったっていい。ただ、孤独にはしないで欲しい。喜ばせたり励まさなくていいから、たくさん話をして、いつも味方でいてあげて欲しい。孤独っていうのは、貧乏よりも辛いんです。」結婚式って冴えないおじさんが真理を吐いたりするから好き。”

ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し 
話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ
心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン

“「心理学的に女の子は周りにいる異性の中で『してくれた嬉しかった事』が一番多かった人を好きになる」って本に書いてあって関心したんだけど、
続き読んだら「イケメンの場合は一緒にいるだけで嬉しく感じるから自動的に”嬉しいポイント”が溜まっていく」って書いてあって泣きながらその本破いた。”
Twitter / aonooo (via igi)

(k32ruから)

若者が酒を飲まない理由が解った。昔は酒を飲んでウサをはらすしかなかった。まさに飲まなきゃやってられないという状態。酒を飲んで酔ってさえいれば、先輩だろうが上司だろうが、少々の暴言はokだったし、「先輩は何も解っていない!」とか「課長はなんでボクばっかりに意地悪するんですか」といったような甘えも許された。むしろ、酒の席ではそうやってガチで激論をする事が良いとされた。そして飲んで笑って泣いて会社の人達との一体感を高めていった。会社でなくとも、親戚、友人などとの関係もそうやって作り上げていくものだった。

こうやって酒を飲む事で、他人の考えている事を知ったり、自分の考えている事を発言したり、理想と現実のスリ合わせやら、会社では教えてくれないような事なんかを学んでいった。もちろん、全員が全員では無いけど、概ね、そうやって大人になって行くものだった。それが20世紀だ。酒という飲み物そのものの魅力もあるが、たんにアルコールという成分が必要だったんだろう。

さて、若者は酒を飲まない。こちら側からすると、そんなんで人生の機微はわからんだろう、何も知らんクソガキめとなるわけだが、実は全くそうではない事に気が付いた。21世紀の若者は酒なんか飲まなくても、自由に感情をありのままに発露できるネットがある。仲良くできるやつを探して、同じもの、同じ体験を共有することもできる。もちろん、泣いたり笑ったりもできる。悩みも聞いてくれるし、同じ悩みを持つやつと知り合いにもなれる。適切なアドバイスがもらえたり、別の角度からの意見ももらえたり。年齢、地位を問わず知り合いになれる。周囲との一体感を持つくらい簡単なのだ。アルコールなんて必要無い。携帯、もしくはPCと回線があればいいのだ。アルコールより健康的で、経済的で、かつ優れている。

だからこそ、会社人間である必要も無くなる。人間は寂しがりやだから、どこかで何かと繋がっていたい。一体感を持ちたい。20世紀の人間は家族や会社で繋がっていれば寂しくも無かったし、スキルも上げられる、人間も大きくなれるという感じだった。家族と会社と酒があれば、良かった。しかし、21世紀の若者にとって、会社とは自分の才能と時間をお金に変えてくれる装置でしかない。寂しさを解消したり、スキルを上げたり、楽しい事は全てネットにあるのだ。酒が必要な場面など無いのだ。

酒はもうすでに昔の人が利用していた便利なツールになってしまった。今はgoogleで検索すると色んな事が調べられる。昔は酒を飲んで、hogehogeっていったいなんなんだよ。と誰かに言う必要があった。目の前の人が知っていれば教えてくれるか、誰それに聞けばいいよと教えてくれた。もうほんとに酒って20世紀の便利ツール。

だから、21世紀の若者は以上に書いた点については、酒なんか飲む必要は無い。酒をツールとして使う必要は無いんだ。胸をはって酒を飲まないでいい。ただ、酒は20世紀の便利ツールだったという事を覚えておいて欲しい。その使い慣れた便利ツールを愛用する人がいる事を知っておいて欲しい。ネットを使いこなす人達は、ネットを使いこなせなかったり、ロクに使えない人を軽蔑したり、バカにしたりするだろう?酒を飲むオジサンにしてみれば、酒という便利ツールを使いこなせない、使おうとしない人を、ついバカにしてしまったりするんだ。同じなんだよ。

そう、みんな同じなんだよ、飲むやつも飲まないやつも。だからさ、下らない言い争いなんて止めてさ、ゆっくり飲もうよ。

もちろん、酒じゃなくていいよ。水でもお茶でも。

飲もうってのは、ゆっくり腹を割って話そうよって事だよ。

飲めば解り合えるよ。飲もうよ。

ん?飲めば解り合えるだなんて幻想?

うん、そうだよ、幻想だよ。

でも、飲めば解り合えるって事になってるんだよー

だから飲んでればいい。

20世紀に浸っていればいいんだよー

飲めば幸せなんてウソ。本当はみんな知ってる。

もちろん、ネットがあれば幸せなんてのもウソ。

幸せは酒にもネットにも無いよ。

どこにあるんだろうね。

今度、一緒に飲みながら探そうよ。

勤務先もしくは自宅そばのパブで、今後一生ビールが飲み放題になる権利が1,000ドル(約10万円)で買えるとしたら、買いたいと思うだろうか?1杯500円、1日2杯、週3日通うとしたら、1年分で3000円x52週=156,000円。30年通うとすれば、468万円にもなる。それがたった10万円である。

(…)

*アメリカミネアポリスの「Northbound Smokehouse & Brewpub」というお店は2年前にオープンした、店内でビール醸造もする本格的なパブ。
*開店のときに、資金があと220,000ドル(約2,200万円)必要だった。投資家に引き受けてもらう手もあったが、投資家が過半の議決権を要求したので諦めた。
*1,000ドルぐらいなら出せるのにという友人の声から、こんな資金提供をお願いすることにした。
*3種類の選択肢
1.1,000ドル 一生ビールが無料
2.1,000ドルの株 (議決権なし) 全株式の0.1%にあたる
3.5,000ドルの株 全株式の0.5%の株とビールが一生無料
*資金は集まった。
1.46人
2.42人
3.30人

さて、その結果だけど、それは驚くべきものだ。現在1日あたり17杯の無料のビールを提供しているが、その一杯あたりの経費はわずか40セントにしか過ぎない。

無料のビールを飲みに来てくれたひとは、ビール1杯で帰ることはなく、料理なども注文してくれるし、なにより友達などを連れて来てくれる。お店は極めて繁盛しており、オーナーは100人のチアリーダーに支えられているようだと感想を述べている。

“「しにたい」は「しあわせになりたい」の略だって言ってるだろ”
Twitter / wara_RT (via akimbd)

(k32ruから)

彼は言う。彼女はなんとなし天井を見る。古い古い天井扇が回転している。あんなにゆっくりで空気の循環に寄与しているのかしらと見るたびに思う。日本ではあまり見ない。ことにこんなに古くてそのうち落ちてきそうなものは。彼女は彼を見る。彼はコーヒーをのむ。彼女もコーヒーをのむ。彼女は言う。いいね、それ。

 そのようにして彼らは彼らの関係から錘を取りはらった。どんなに気楽に過ごしているつもりだってある程度親しくなれば規定の枠にはめろという他人の声が聞こえるようになる。同年代で独身同士で性別がちがうとなおさら。どうしてかなと彼女は思う。そんなのひとつもおもしろくないのに。私には恋人だったと思う人が何人かいるけれども、その人たちが同じ枠組みの同じ機能を持つ存在だなんて少しも思わない。そもそも名前をつけること自体が不承不承の、しかたのないもので、恋をしているから恋人なのだろうと思っただけで、恋というのはそれだけ重大なもので、だから義務を負ったので、相互に恋をしていない今、どんなに親しくても他人からとやかく言われる筋合いはない。おかしな名前をつけられるいわれはない。

 彼らは暗黙のうちに誰にもたがいを紹介しなかった。ほんとうは共通の知りあいがひとりいるけれども、ほとんど意図的に疎遠になった。かすかな嫌悪感を持ちながら彼らはその知人をきれいに忘れることに成功した。彼らの双方を知る者がいてはならない。彼らに名前をつける者がいてはならない。なに、どうせたいした人物ではなかった。愚鈍だし人を苛つかせるところがあった。彼女はそのように思った。

 彼らはふたりで趣味の旅行を満喫しているので一般的な友だちの枠からははみ出しており、それよりましな名称はおそらくなくて、だから呼ぶ者を排除した。しばらく彼らは平和だった。彼らは月に一度か二度寝起きをともにして、ときどき小さな贈りものをやりとりし、年に何度か旅に出た。外国はいい、と彼は言った。義務もないし、責任もない。小銭があって木賃宿でも満足できる無害な観光客ほど気楽な身分はないね。彼らは錘そのものを軽んじていたのではなかった。他者の錘ある関係、たとえば家族や恋人を、たいへん尊重していた。ただ彼らは自分たちにそれをあてはめられたくなかった。彼らはそれぞれの理由で自分はそうした関係を築くことは向かないと痛感していた。彼らはすでに若くなかった。

 けれども、と彼女は思う。どんなに気楽に過ごしているつもりだって、規定の枠にはめろという他人の声が聞こえてしまう。私たちは他人の声を、どうしても内面化してしまうからだ。だから彼はそう言ったのだろうと彼女は推測した。ありがとうと言った。とてもいいプレゼント。あなたにもあげたい。要らないと彼は言った。いなくなることがあったら僕はきちんと説明する。懇切丁寧に説明する。説明は要らないと言われたらしない。ほかのことをしてほしければする。きみの望むことを。不公平だなあと彼女は言う。彼はげらげら笑ってこたえる。きみはほんとうに可笑しな人だなあ、感情の公平なんて、そんなの、なにひとつおもしろくないし、だいいち不可能そのもので、公平みたいに見えるものは、ただのふりなのに。彼はそれから一年半ののち、仕事の都合で先に帰国する彼女を空港で見送り、それ以来、連絡がつかなくなった。

 探せばいいじゃんと私はこたえた。彼女は軽蔑のまなざしで私を軽く薙ぎ、私はうひゃあと思う。この人って昔から私のこと好きじゃないんだよな、と思う。同窓会で見かけてのこのこ近寄ってそういえば私が紹介したあの人とはどうなったと訊いたら睨まれた。そして不可解な話を彼女はしたのだった。彼女は平坦な声ですらすらと話す。探してどうするのよ。説明するって自分で言っておいて消えたんだから、メッセージ二回送ってそれ以上のことは私は、しない。私は、そういうものでありたいの、彼のそういうものでありたい。そもそもいないものをどうして探すの。生きてるなら私に会いたくないんでしょうし、死んでるならそれきりじゃない。だって死んでたらお線香あげたほうがいいよと私は言った。鼻で笑われた。

 私は思う。とくに理由もなくふといやになって連絡もなしに消えていく権利。たしかにそれは、いいものだ。なんだか蠱惑的なものだ。でももしかするとそれは、とてもいけないものでもあったんじゃないだろうか。そんなものを小箱に入れてリボンをかけて気軽に差し出したから、その人は帰ってこられなくなったんじゃないだろうか。そう思う。でも言わない。きっとまた、鼻で笑われる。

 魂としてはヤンキーの正反対を行く人でも、ファスト風土ではヤンキー的な恰好をしていることが珍しくないのです――主に、流通上の理由や購買上の理由によって。きわめて消極的な選択によって。

 こういう、ポリシーやスタイルと消費が合致しない消費の図式は、ヤンキー的な文化表象だけに限ったものではなく、『新劇場版ヱヴァンゲリオン』や『テルマエ・ロマエ』といった、オタク的・サブカル的な文化表象やコンテンツにもある程度当てはまります。文化表象や消費コンテンツと当人自身のポリシーやスタイルが強固に結合するのではなく、良く言えば融通無碍な、悪く言えば節操の無い消費が、ファスト風土のヤンキー的なるもの(あるいは、オタク的なるものやサブカル的なるもの)の実相ではないでしょうか。

 郊外で頻繁に見かけるようになった「マイルドなヤンキー」「ライトなオタク」「サブカルっぽい人々」を考察する際には、サブカルチャー的な精神性を云々するだけでなく、どのようなかたちで文化表象が流通していているのかに注目するのも、ひとつのアングルではないかと思う次第です。

孤独のカタチは一人一人違う。

多く人は、 そのカタチをぴたっと埋めてくれる誰かに出逢えない。 それどころか理解者にさえ恵まれない。

でも、全てわかってもらえずとも、 自分の孤独のカタチに寄り添う誰か、 「たった1人」いればやっていける。

その1人は、リアルな人間でなくてもかまわない。

表現作品や、想像上の世界の生きものでも。

「深い孤独の闇にいる人に、  想像でつくった物語がなんの役に立つ?」

という人もいるだろう。 けど、

「心が呼吸をやめ瀕死になった人を、  文学や音楽が本当に救うこともあるんだ。」

ということを、 私は、仕事を通して何度か目の当りにしてきた。

“先日合コンで会った26歳の女が「私179センチあるの。やんなっちゃう」と言った為「女で背が高いと不便な事があるか?」と聞くと「150センチの女の子よりムダ毛処理しないとならないスペースがだいぶ多い」との事。背が低い方がムダ毛処理が楽なのか。男の私には想像もつかぬ斬新な悩みであった”

spock1958:

thedemon-hauntedworld:

Andromeda Galaxy (M31)

Image of M31 taken with a 12.5-inch Ritchey-Chrétien telescope by amateur astronomer Robert Gendler.

Credit: ÷ 2002 R. Gendler, Photo by R. Gendler

Fantastic amateur photograph. Professional quality. Well done.

(k32ruから)